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2007年10月10日

二酸化炭素・温暖化・環境・農業うんぬん

 先日、手のかかる後輩2人とお茶などしてみたが、なかなかどうして後輩どもも何やらがむしゃらに頑張っているようです。ふと、負けてられないなぁと後輩どもに背中を押される思いでした。2人とも頑張れよ!また、お茶しよー。

 さて、今日はテレビ番組の「プロフェッショナル・仕事の流儀」でCO2排出権ビジネスを先駆的に手がける三菱UFJ証券クリーン・エネルギー・ファイナンス室主任研究員の吉高まりさんが紹介された。

 そこで、過去中途半端に調べた京都議定書の「京都メカニズム」に関して、あろうことか夜勤中に調べだした(よくある、よくある)。「京都メカニズム」とは、1997年に京都市で開催された国連気候変動枠組条約第3回締約国会議で採択された「京都議定書」において定められた、温室効果ガス削減をより柔軟に行うための経済的メカニズムで、「クリーン開発メカニズム」(CDM)、「共同実施」(JI)、「国際排出量取引」の3つがある。

 クリーン開発メカニズム(CDM)(京都議定書12条)
先進国が発展途上国と協力してプロジェクトを行い、その結果生じた排出削減量(または吸収増大量)に基づいて発行されたクレジットをプロジェクト参加者間で分け合うこと。そうすることによって投資国(先進国)が自国の目標達成に利用できる制度。
・クレジット名は CER ( Certified Emission Reduction )
・ CER は排出枠として活用可能
・プロジェクトを実施する先進国Aを投資国、プロジェクトが行われる途上国Bをホスト国という
*結果として、先進国の総排出枠の量が増大する

 共同実施(JI)(京都議定書6条)
先進国同士でプロジェクトを行い、その結果生じた排出削減量(または吸収増大量)に基づいて発行されたクレジットをプロジェクト参加者間で分け合うこと。そうすることによって、その削減分を投資国が自国の目標達成に利用できる制度
・クレジットは排出枠として活用が可能
・共同実施で発行されるクレジットをERU(Emission Reducrtion Unit)という
・プロジェクトの実施に協力する先進国Aを投資国、プロジェクトを受け入れる先進国Bをホスト国と呼ぶ
*数値目標が設定されている先進国間での排出枠の取得・移転になるため、先進国全体としての総排出枠の量は変わらないようだ。

 排出量取引(京都議定書17条)
各国の削減目標達成のため、先進国同士が排出量を売買する制度。割当量単位のほか、CER、ERU、また吸収源活動による吸収量も取引できます。

 吉高さんはこのうちクリーン開発メカニズム(CDM)でもって、途上国の環境に配慮した「開発」を促している点において、敬意をはらえる。途上国では、先進国が捨てた劣悪な機器(エンジンなど)がメインの動力になり、国内のインフラを整備しているため、環境と人体に悪影響を与えているのが現実である以上、そこを改善するためにを利用して資金を得て、インフラの改善をするのは限られた資金力(もっとも先進国がそうしたのだが)の途上国にとっては一つの道筋のように思える。

 でもなぁ、吉高さんの仕事には学べる点が多いものの、肝心の「京都メカニズム」に関してはものすごーく胡散臭い気がしてならない。要は先進国が排出量を減らすのが無理だから(とあきらめる立場にたち)、途上国と“一緒”に頑張りましょうという図式がどうにもこうにも。だけど、全面的に悪ではなく確かにこれまでになかったシステム(環境と経済の接合点)であることには変わりないし、現にクリーン開発メカニズム(CDM)によってお金のない国(自治体)の生活者の生活環境が改善されているのは事実として受け容れるべきである。

 まあ、そんなことを考えているうちにやっぱり資本主義的経済システムの根本が良くないなどと根本思考が噴出してくるので、ここはおいといて次は「京都メカニズム」を使えば農業の未来が開かれるのかな…とか仮説を立ててみる。そこで、また調べてみる。

 この仮説を解くためにまず、植物が大気中の二酸化炭素を減らすというと流布している噂を調べてみた。すると、どうやら森林などは二酸化炭素を確かに吸収するが、それと同じくらい呼吸もしているため(森林に住む生物の量も考慮に入れる)、全体としてはトントンぐらいになるようだ。

 なるほど、で調べていくと放出された二酸化炭素は半分近くは海洋と土壌に吸収されていることがわかった。さらに調べていくとオーガニック農業が土壌に二酸化炭素を大気中から隔離する働きに一定の成果をあげていることがあるらしいとのこと(通常の農薬と肥料をバンバンやるのはだめらしい)。どういうことかネット上で判断しているため定かではないのだが、これが確かならオーガニック農業を実施することによって、大気中の二酸化炭素量が減少し、それでもって「京都メカニズム」を活用し、資金を得れば(できるのかな?)、オーガニック農業自体も拡大し、オーガニック農家の生活も潤うという自体になるのか?

 さて、また調べることが増えましたが、ただいま夜勤中につきやむおえずここまでとする。土壌の二酸化炭素吸収能力ね〜。今はほとんどアスファルトだからな。うーん。都市、お金、農業、、、うーん。
posted by チャーリー at 01:56| Comment(0) | TrackBack(6) | 都市・建築・地域・教育うんぬん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

最小限住宅

 産業革命後、20世紀を経て現在に至るまで科学技術はものすごいスピードで更新されていったわけでありますが、こと思考、思想の領域においては未だ20世紀前半に提示された考えが十分に練りきらずに、次の思想にある種の“流行現象”であるかのように切り替わってきた経緯があると僕は思う訳ですよ。

 20世紀前半に建築家ル・コルビュジエが投げかけた<最小限住宅>という考えもそのうちの一つであると思います。コルビュジエは「住宅は住むための機械である」という訳ですがこの部分だけ聞くととても人間味が感じられず冷たい感じがしますが、住宅に本当に必要なものだけをどのように組み合わせたら機能的で快適な住まいが出来るのか、その最小単位は何なのかというテーマは今日においても未だ解決されていない問題です。もちろんこのテーマに現在取り組んでおられる方はいらっしゃいますが。

 ですがことの問題はこの<最小限住宅>という単位の管轄範囲が、住宅内だけの範囲ではないといういう点が非常に興味深い点であると思います。コルビュジエの最後はどこであったのか?それはカップ・マルタンの小屋というとても小さな小屋でありましたが、この小屋が<最小限住宅>を意識して作られたのは疑いも無い事実です。しかし、なぜあの場所にたてたのかという問いは<最小限住宅>というテーマに照らし合わせてみると実に興味深い。

 つまり、コルビュジエは<最小限住宅>というテーマを考えたときにあの環境もそれを成り立たせる一要因であると言っているようなモノなのです。しかし、カップ・マルタンの景観はきわめて雄大で美しく、もしこれを<最小限住宅>の基準とするならば、現在の東京に立ち並んでいる住宅のほとんどは基準値に達していないことになります。

 ここで一つの課題が浮かび上がります。<最小限住宅>を考えるにあたって住宅内の空間の基準を考えるのはもちろんですが、その外で最低限の基準を考える試みは絶対に必要なことであると思います。そこには当然景観的で物質的な要因も入るでしょうが、例えば、そのまちに「音楽」というのはどのような位置づけか?それは<最小限住宅>においてそれは必要なのか?どうでもいいのか?「教育」はどうなのか?どんな教育でもいいのか?というように人が”住む”と言ったときに必然的に付随してくる様々なものの存在。それは食べ物であったり、医療であったり。

 このように考えて必然的に浮かび上がるのが<最小限集落(都市?村?)>という考え方。ある集落において最低限幸福に、快適に生活するためにはいったい何が必要なのか?このようなことを今後書いていこうと思う次第であります。

 
posted by チャーリー at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 都市・建築・地域・教育うんぬん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

軽井沢リゾートマンション調査

 今現在、軽井沢のリゾートマンションの資料整理中ですが、良いマンションってのはなんなんでしょうね。マンションが悪だとは全然思わなくなってきた今日このごろ。

 というのも東京などにいるとお化けのように高いマンションがにょきにょきしてますが、こと軽井沢に関して言えば2階までのマンションがほとんど。というのも規制をかけているからなのだが。ヨーロッパなどは低層(4階)ぐらいの集合住宅がまちの美観を形成していることを考えれば中々軽井沢のマンションも悪くないはず。

 なのに地元住民からは批判の声が。批判の一つに道路に近いというのと木を伐ってしまうというのがあるのですが、じゃあ木を伐らずに道路から一定幅フィードバックすればそれで良いマンションなのか?そもそも良い建築というのは何なのか。特に環境などに配慮した良い建築とは何なのか?ソーラーパネルをつければ良いのか?地元の材料を使えば良いのか?そもそもコンクリートという材質が良くないのか?しかし、木造の構造では防火に対してどうするのか?しかし、一方で防火に強い木材もある。

 こんなことを書いていると自分に建築の知識がないために判断がつかない点が多い。やはりもっと勉強しよう。

[コメント:ゆう]
 嫌な言い方すると、地元の人が反対する時って、土地によっては「知らない人がたくさん入ってくる」こと自体に抵抗があることが原因になる場合があるんだよね。 それに「景観とかも悪くなるし」と建物自体の問題が後付的にくっついたりすることもある。 一軒家ばっかりの地域だと「マンションがある」こと自体が異様に感じることもあるんじゃないかな。

日本人は保守的だからね。

意外と建物の要素要素の問題じゃなくて、心理的な影響が問題だったりして。

いい建築は、きっと人間関係がよくなる建物なんだよ。
なんてことを考える今日この頃。


[コメント:ちゃーりー]
 心理的な影響っていうのはまず間違いなくあるだろうね。だけど、この軽井沢の件に関しては面白いのが、なんとなく規制の方向からいって、ひょっとするとマンションが建つことによって森の樹木を手入れさせる管理人を増やす里山的な発想が盛り込まれつつある動きが見られることなんだなー。つまり「マンション建設→森管理人増」のような図式。これって、結構面白いと思わない?
posted by チャーリー at 12:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 都市・建築・地域・教育うんぬん | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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