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2005年02月28日

チャーリー・パーカーの不思議。

 昨日、友達とチャーリー・パーカーの話をしてみた。
チャーリー・パーカーという人ほど、聴くたびに新たなる発見をする人はいないと思います。
いつも思うのですが、パーカーの演奏を聴くたびに

「この人ってもう観客とか、いてもいなくてもどうでもいいんじゃないか。」

と思ったり。確かに芸術作品等にも言えると思うのですが、ひたすら自分の内側と向かい合うことの方が、大衆(聴衆、見る人)のご機嫌をとるそれよりも、より強い印象をきざみつけるという事実は不思議なものです。ヒーリング・ミュージック等の音楽は、なんとか波とかをコンピューターで計算して、曲を作るみたいなのですが、いざ出来上がった曲は、なにか抜け殻のような気がして聴くに耐えません。

 また、「チャーリー・パーカーって子供だよね!」という話も。

そう!そこなんですよ。なんというか、“遊び心”っていうんでしょうねぇ。アドリブのアイディア的に純粋に子供みたいに「これって面白くない?」というだけの理由で演奏すると思うのです。だから、拍をわざとひっくり返したり、テンポをわざとずらしたり、ぜんぜん違う音でアウトしたりと。で、それを恐ろしい集中力で一回のミスもなく吹ききる。う〜んなんてやつだ。

 あと、「結局、アルトってチャーリー・パーカーで始まって、チャーリー・パーカーで完結した感があるよね。」というのも。

確かに、エリック・ドルフィーやオーネット・コールマン、ケニー・ギャレットのやっていることをチャーリー・パーカーは音源によっては似たようなことをやっているのです。でも、この話はボクは完全に「そうだ、そうだ。」とは言いたくありません。だって、そんな後ろ向きに考えは、チャーリー・パーカーがもし今の時代に生きていたら、きっと「アホか!」と言うと思います。

 人はだれでも自分の中に自分だけの“宇宙”を持っていると思うのです。問題はどれだけそれに向かい合えるか?そこです。チャーリー・パーカーとスタイルは違いますが、現代芸術の巨匠マルセル・デュシャンもその一連の作品の中にデュシャンの人柄、宇宙観が現れています。すぐれた芸術作品はこのような自分の中の“宇宙”と向き合ったときにうまれるのかなぁと思ったりもした日でした。おしまい、おしまい。


posted by チャーリー at 10:36| Comment(1) | TrackBack(0) | 個人練日記(アドリブ論) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
偉大な演奏家を超えることは難しいものです。
Posted by maida01 at 2005年02月28日 13:07
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