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2005年02月08日

ふと思ったこと

 最近、即興演奏について、なんとなく考えがまとまってきた。即興演奏において即興とはどういうことなのであろうか?前もって用意していたフレーズを吹くというのは、なんというか音楽を聞き込んでいけば、あまりいいソロには結びつかないように思う。というのはどうしても「ほんとにその音吹きたいの?」という疑問を投げかけたくなるからだ。つまり、自分の意思とは無関係に存在しているために、ソロをその人の『話』と考えたときにまったく話題、話の流れとは違う構文集などの文をしゃっべっているにすぎないと思われる。であるから大学の先輩たちは頭でなったものを吹けばいいと言うのだが、その「即興」で頭に浮かぶモノというのにやはり疑問を持たざるを得ない。人の頭に浮かんでくるフレーズというのはどこからくるのか?バカらしいかもしれないけど、ほんとにじっと目を閉じて自分の中から出てくる音を聞けたとした時、ほんとに自分の中から無尽蔵に永久に出てくるモノなのか?だとすれば、赤ちゃんを経て意識が芽生えた小学生くらいの子供でさえもその方法ができた子はたぐいまれな想像性を発揮し、天才的になっているはずである。ところが現実には10歳をすぎて世に出てくるケースが多い。また、そういう子は家族が音楽一家等であることが多い。僕が思うのは音楽を一生で一回もまともに聞いたことがない人が、もしくは生まれながら耳が聞こえない人は、はたして天才的な音楽をクリエイト出来るのか?もっとも後者については実に興味深いと思うが。またジャズを聞いたことがない人間がジャズをプレイできるのか?
 ここで、ちょっと話題を変えて人間の個性について考えてみたい。人間の個性とは何によって決定されるのであろうか?また、人はいつも何に基づいてしゃべり、行動しているのか?今日しゃべったこと、昨日しゃべったことはどこから出てくるのか?どこかのアニメの言葉を借りれば、「記憶」というものによるのだと思う。自分が今こうして、存在しているように感じるのも「記憶」のせいだし、話の話題、喋り方、自分の性格すらもおそらく「記憶」のせいだ。つまり、「記憶」と言う漠然としたものによって思考し、自分というものが存在しているかのような気持ちになる。よく分からないけど、即興演奏において、どこからメロディーがやってくるのかということに関してもおそらくこの「記憶」の部分からであるような気がする。
 つまり、生まれながら天才で無限にフレーズが出てくるようなケースはきわめて、まれで、自分にそのような才があると期待しているときほど時間の無駄であるときはない。何によって出てくるかといえば、記憶、経験によるものだとすると、記憶、経験を豊かにすることが全うな方法であろう。
 もう、、、疲れました。また、次回に。
posted by チャーリー at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 個人練日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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